3Dプリンターの歴史・日本人が生み出した?3Dプリンターが広まった理由

3Dプリンターの歴史を、誕生からその歩みまで説明します。3Dプリンターは1980年代にはすでに考案され、特許の出願が行われた技術です。もっとも、2000年以前に3Dプリンターという呼称は使われず、「ラピッドプロトタイピング(RP)」と呼ばれていました。当然、ひじょうに高価なものでしたが、現在は一般向けの3Dプリンターが発売されるほど身近な技術となっています。

3Dプリンターの歴史

3Dプリンター

3Dプリンターは、1980年代に日本人が考案しました。名古屋市工業研究所に当時勤めていた小玉秀男氏が研究と開発を行いました。小玉氏は特許の出願を行ったものの審査請求はせず、審査期限は過ぎてしまいました。審査期限が過ぎ、この特許を得たのがアメリカのチャック・ハル氏で、この特許を「3D Systems」が取得。ここから3Dプリンターの実用化が始まることになります。工業用に使われていたこの頃の3Dプリンターは「ラピッドプロトタイピング(RP)」と呼ばれるもので、その価格は1000万円以上。現在のように3Dプリンターが一般的になるとは思えないほどの代物でした。ただ、3Dプリンターがここまで身近になったことには、やはり「ある事情」が関係しています。

3Dプリンターの歴史・1980年代から1990年代

1980年代初頭、3Dプリンターの特許を出願したのは、前述の小玉氏のほか2名。小玉氏の出願は期限を逸してしまったため幻に終わりましたが、期限が切れてすぐにこの特許を取得したのがチャック・ハル氏です。ハル氏は3D Systemsを設立。のちにこの会社は産業用3Dプリンターで世界最大にまで成長することになります。
1980年代から1990年代は、3Dプリントの技術に大きな進歩があった時期でもあります。「液槽光重合法」と呼ばれる3Dプリンターの仕組みを発明したのはもちろん小玉氏。1986年には、この仕組みを使った装置が3D Systemsから発売され、それに遅れること約2年で、初の日本国産装置も発売されます。
1989年には「材料押出堆積法」の原理が発明され、この原理を使用した装置も発売されました。
1990年代に入ると3Dプリントの技術は劇的に進化します。1992年には「粉末床溶融結合法」を使用した初めての装置が発売され、翌1993年には「結合剤噴射法」を使用したフルカラープリント装置が発売されました。ちなみにこの技術は、日本の理化学研究所で開発されたものが元になっています。その翌年の1994年には「シート積層法」を使用した装置が発売されます。
1980年代から1990年代は、一般家庭向けのPCが普及し始めた頃です。「Windows」「インターネット」が家庭にやってきた頃、めざましく技術の進歩を遂げていたのが3Dプリントだったのです。ミレニアムを迎え2000年代に入ると、3Dプリントの世界は劇的に変化を迎えることになります。

3Dプリンターの歴史・2000年代

2006年、オープンソースの3DプリンターRepRapが公開されます。これはインターネットに公開されたパーツのデータを3Dプリンターで出力し、それらを組み上げることで3Dプリンターができるというものでした。
2000年代も終盤を迎えた2009年、3Dプリンターの特許(熱溶解積層法)が切れ、誰もが使えるようになりました。これは3Dプリンターを低価格で作れるようになったことを意味します。これにより家庭用の3Dプリンターの開発が加速。クラウドファンディングを利用したスタートアップ企業の製品も次々と誕生しました。インターネット上でさまざまな3Dデータのダウンロードができるようになったのもこの頃です。

3Dプリンターの歴史・2010年代

2009年の特許切れの後、3Dプリンターの普及は進みます。2012年には3D Systemsから個人向けの3Dプリンターも発売され、一般家庭にも当たり前に3Dプリンターが置かれる日が来たことを実感した人も多いのではないでしょうか。
ただ、日本で3Dプリンターの話題がメディアで取り上げられるようになったのはもう少し後のこと。これまで一部の人には知られていた存在だった3Dプリンターは、2012年頃から頻繁にメディアに取り上げられるようになります。こうなると、3Dプリンターを利用したサービスも続々と登場します。3Dプリンターでフィギュアをプリントアウトするサービスも登場。産業分野だけでなく、一般家庭にまで置かれるようになった3Dプリンターを見て、多くの人々がビジネスに利用すると考えることは必然と言えるでしょう。
3Dプリンターの普及が進むと共に、国家的にこれを活用しようという動きも見られるようになります。アメリカでは2013年、当時のオバマ大統領が一般教書演説で3Dプリンターの実用化と国における活用に触れました。
ただ、低価格の3Dプリンターの普及が問題に発展したこともありました。3D Systemsと「Stratasys」が3Dプリンターの二大巨頭で、そのほかにたくさんの中小企業がこのビジネスに参入しました。しかし、低価格3Dプリンターのクオリティの低さが表面化したこともあり、体力のないメーカーの淘汰が進みます。結果的に3D Systemsは、一般家庭用の低価格プリンター市場から撤退。現在の3Dプリンター業界は、産業用の3D Systems、家庭用のStratasysという構図になっています。日本で生まれたはずの3Dプリンターの技術ですが、特許を取得して成長を遂げた二大企業が強さを見せる市場。日本メーカーの存在感が薄いことには寂しさもあります。
ただ、日本でも3Dプリンターを利用したビジネスに大企業が参入するようになり、業界に活気があることは確かです。これには3Dプリント技術の進歩だけでなく、通信環境の高速化やスマホの普及もプラスに作用しています。オンラインで3Dプリンターを使用し、完成品を自宅に届けるサービス、3Dプリンターを設置する電気店なども現れました。
3Dプリンターが絡む事件が表面化したことも記憶に新しいところです。ネット上で3Dプリントのデータを誰でもかんたんに手に入れられるようになりましたが、それにより銃器などの違法なものを3Dプリンターで複製できるようになったのです。このような方法で拳銃を複製した男が逮捕されましたが、この事件により3Dプリンターの危険性にスポットが当てられるようになってしまいました。
もしかすると2010年代は、「大ブーム」と呼べるほど、世界中で3Dプリンターに注目が集まったのかもしれません。現在は危険性を指摘するメディアもほぼなく、法規制などの論議も落ち着いた状態が続いています。しかし、これはある意味、3Dプリンターが私たちの生活にフィットしたことを表していると言えるのではないでしょうか。
2010年代は3Dプリントの技術的進歩もめざましく、粉末床溶融結合法を使用した金属プリント技術の進歩、合金素材の普及が進みました。強度が高く、耐熱性に優れた樹脂の開発が進むと共に、工業用3Dプリンターの高速化や大型化により、これまでのメインだったプロトタイプや検証用の部品、製品の製造だけでなく、実際に使う部品の製造にも3Dプリンターが使用されるようになりました。
現在、一般家庭用の3Dプリンターは、より一層の低価格化が進んだことにより、1万円前後で購入できる製品も登場しています。以前は数千万円以上の値札が付いていた産業向けの3Dプリンターも、1千万円以下で買えるようになっています。
1970年代の終わりから80年代頃に研究、開発され、意外にも長い歴史を持つ3Dプリンターとその技術。大ブームが去った今もビジネスでの導入数は着実に増えています。多くの人々が存在を少しだけ忘れている今も、3Dプリンターの進化は続いています。